アジャイルの会社がアジャイルの社内勉強会をしました
ウォーターフォール開発の要件定義フェーズだけ参加したことのある三木です。
去る2024年6月、アジャイル開発の社内勉強会が催されました。
前回のアジャイル開発の勉強会はオンラインで実施されたんですが、今回は念願のオフライン。どっぷりアジャイル開発を学びました。
本記事ではその様子をお届けします。
社外から講師をお招き
講師を務めてくださったのは『いちばんやさしいアジャイル開発の教本』の著者でもある小田中 育生(いくお)さん。
私は参加できなかったんですが、4月に弊社主催のセミナーでご講演いただいた内容がとても良かったとのことで、「ぜひ社内で再演してもらおう!」とお願いすることになったそうです。
今回はビジネス系メンバーも多い弊社内向けということで、この日のために資料もアップデートしていただいたようです。本当にありがとうございます。
なお今回の勉強会は、アジャイルウェアのTeam. KAIZEN(継続的な改善をうながし、組織全体の成長と革新を推進するチーム)のみなさんで企画運営されました。
勉強会は大阪オフィス近くの会議室を借りて開催。
お菓子大好きアジャイルウェア。勉強会でもしっかり用意されています。
クーラーボックス満杯の飲み物(おさけ)も。
「アジャイル開発とは?」からスタート
さて、業務が近いチームごとに着座して、勉強会スタート。
弊社は社名に『アジャイル』とありますが、その認識具合や実践具合は業務によって差があります。
そんな中、そもそも「アジャイル開発とは?」から始まったお話がめちゃわかりやすくて目から鱗でした。
そういった基礎知識的なお話に続いて、
アジャイルは「早い」「安い」「うまい」ではない
事前の設計や準備をしないで開発、ではなく、ちゃんと準備しよう
「自分たちの現場は特別だから」と最初からプラクティスをカスタマイズしてしまってイマイチ効果がでないことがある
といったアジャイルに対する誤解のお話、そして実践時に役立つHowやオススメ書籍・ブログなど、盛りだくさんでお話しいただきました。そのどれもがやさしく噛み砕かれた表現になっており、頭にスッと入ってきます。あの説明力、日本語力が僕も欲しい。。。
個人的に強く印象に残っているのが、「方法論の実践だけを強力に推進すると、なぜそれをやっているのか理解が追いつかないまま『普及』する」というお話。
これは色んな場面で気をつけないとなぁと思いつつ、「でも多くの人に伝わっていること自体は嬉しいことですよね。大変だけど壁を超えていきましょ」というお話が、温かみがあって心に響きました
チームでワーク
次はテーブルごとにワーク。
いくおさんのお話を踏まえて、気づきや質問などを付箋に書き出します。
「これはすぐ実践できそうだよねー」とワイワイ会話しながらカキカキ。チーム内を見つめ直すだけじゃなく、リモートワークで顔を合わすのが久しぶりな社員もいたりするので、オフラインで集まれるのはやっぱりいい!
そして書き出した内容を各チームごとに発表します。
どのチームもかなりの付箋紙が貼られており、ディスカッションの活発さがうかがえます。「ユーザー目線でチケットを作ってみるって良いよね」「優先順位の付け方、実践したい」など、前向きなものが多いのもアジャイルウェアらしくて素敵。
発表では感想と併せて質問も挙がりまして、
アジャイルを実践する時、何から始めていけばいいでしょうか?
発言する時に躊躇してしまう。発言しやすくするために何かいい方法はありますか?
忙しいPOやPMを巻き込むいいアプローチ方法はありますか?
バックログの分割方法にはどんなものが?
などなど、ここでは紹介しきれないほどの質問の数々。
チームごとに職種も業務も様々で、それぞれの業務を想定した質問なのでかなり具体的。そのひとつひとつに約1時間かけて丁寧にお答えいただきました。いくおさんの引き出しの多さ、凄まじけり。
終了後はもちろん懇親会
そして勉強会が終わったら、寿司やピザを食べながら希望者で懇親会!
いくおさんの音頭で乾杯!みんなでワイワイしゃべって、飲んで食べます。
ちなみに勉強会前にいくおさんのX(旧Twitter)を拝見していたら、ヘヴィメタルなポストがちらほら。
メタルを聴いて育った三木。「お好きなんですか?」と尋ねずにはいられません。そこにそのメタルな会話に反応した人事K氏も参戦。アジャイル、メタル談義で夜が更けていくのでした。
今回の勉強会で良かったと感じた1つが、社外の方の講義を社内で受けられたこと。アジャイル開発を学べたことはもちろん、実務を前提に質問したりアドバイスが聞けるってとても有益。社外の人とお話しするのもいい刺激になりますし。
千里の道も一歩から。「積んでいる本の高さは徳の高さ!1ページだけでも読みましょう」のお話に刺激をもらい、デスクに8冊くらい積まれた本を開き始めた三木でした。